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2024.05.19
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2009.12.20



 無事に今日も長かった最後の授業を終え、跡部は図書館へと向かった。来週に提出予定の課題を中途半端に済ませていたので、それを終わらせてしまうためだった。

 授業が終わった後の脱力感からか、それとも開放感からか、心持ちゆっくりとなる足取り。図書館は正門の逆方向にあるためか、今の時間では人の流れに逆らっているような感覚になりながら辿り着いた目の前の大きな扉はたいそう重厚な作りで。
「…デカいな…」
 跡部はそう声を漏らしたが、ここに来るのは初めてではない。むしろ頻繁に訪れている方だが、おそらく4メートルはあるだろうそれを見上げる度にため息のようなものが込み上げてくる。圧迫されるような、入ってくるなと言われているような気分になるのだ。
 ただ、それは決して気分が悪くなるというものでもないのだと、跡部が徐にカバンから取り出したのはカードケース。中身はそのままにそれをセンサーに翳し、自分だけの暗証番号を入力すれば。

 …ピーッ…―――

 小さな電子音が鳴り、そして目の前の扉が音もなく開いた。以前は扉の開閉に何かが擦れるような音が鳴っていたのだが、誰かが苦情を出したのだろう、それはもう改善されたらしかった。

 広がるオレンジの照明。一歩足を踏み入れ、背後で扉が閉まるのを確認しながら、入室したのだからもう用はないとカバンに入れたそれは、通行用のセキュリティカード。何でもこの図書館の地下には珍しい禁書が数多く置いてあるらしく、この大学では図書館と実験棟のみカードと暗証番号がなければ通行できないようになっている。
 一歩一歩歩くたび、心地よいカーペットの感触が足の裏から伝わる。ここは相当金がかかっているのだろうなと、まるで人事のように思いながら一番近い机を陣取った。

 こうして図書館を訪れるのは、ほぼ毎日のことだ。この時間は生徒も少ないせいか話し声もほとんど聞こえては来ないので、静かで広い空間と膨大な資料が収められているこの場所は、レポートや読書にも最適の空間である。
 最初は環境の変化からか、苦手だったこの雰囲気。しかし、一度慣れてしまえばもうこっちのモノだ。
 ここにほぼ毎日訪れる理由は、課題を家に持ち帰りたくないという気持ちがある。それに家でやるよりもここでやったほうが充実したものに仕上げられるのは目に見えていたからだ。
 しかし、いつだっただろう。ふとしたときに感じた、違和感なくここに馴染んでいる自分。この空間がどこか落ち着くものになっていたのだと気付いてからは、授業を終えたその足でこの場に向かうことが多くなった。
 そうして送っていた日々に僅かな変化が訪れたのは、先日のこと。

 俺は、彼に出会ったのだ。




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2009.10.16




 そう思えば、何故か隣の美しい彼女も途端にただの機械へと成り下がる。全てが正確に行えるという一見完璧なまでの装備が、瞬時に抗えない欠点となる。
 俺はそんな彼らを作り出した本人も、作り出されたロボットも、哀れだとは思わない。ロボットを作りたいと思う気持ちも少なからず理解できるし、作り出されたロボットも作り出す彼らがいなければ存在さえしていないのだから。
 ただ俺は、受け入れ難いのだ。
 そう思うのは決して差別ではないし、偏見でもないと。俺自身はそう言い切りたいと思うのだが、それはこれからも出来そうにない。

 ロボットには、制御されていても意思がある。作り出してくれた主を一番大切に思っている気持ちだけはどの作品も変わらない。
 なのに、人間は残酷だ。彼らに、飽きてしまう。
 飽きる、それは人であればどうしようもない問題なのかもしれない。所詮ロボットは一時の理想を形にしたものであって、理想というものは何かの刺激を受けて徐々に移り変わっていくもの。
 最初はもちろん主は彼らを可愛がる。それはもう、壊れないように、壊さないように、と。しかし人は一度手に入れてしまうと、次を求める。もっと違うものを、もっといいものを、もっともっと…と求め続けるうちに、いつしか理想だったそれが理想ではなくなっていく。やがて彼らは、自分の作り出した理想をただの『モノ』として認めるようになり、その瞬間から愛情が冷めていく。
 愛情が冷めれば、なくなればどうなるかなんて、分かりきっているのだ。

 彼らは『モノ』。あとはただ、捨てられるだけ。

 もちろん捨てられないロボットもある。けれどそれはかなり少数で、圧倒的に捨てられるケースが多い。路上やゴミ捨て場など捨てられる場所は様々だが、まだ動くロボットは拾われる場合も多い。しかしそれが問題なのである。捨てられた後にたとえ誰かに拾われたとしても、拾ってくれた新しい主を最後まで受け入れられずに壊れる場合がほとんどだからだ。
 何故そうなるのか。理由は単純で、とても美しい。
 ロボットは主の理想が映し出されると同時に、ロボットの理想もまた主でしかないのだ。そしてロボットの場合、人間とは違ってその理想が壊れるまで歪むことはない。
 そして、彼らは主をどうしようもないほどに愛し過ぎてしまう。
 ただ好きで仕方がないのだという、どうしようもない感情を捨て去る術を彼らは持っていない。そういった機構が初めから組み込まれておらず、スイッチも回路も持っていない。
 全ては、作り出した人間の仕業。だから…―――



「…それでは、62ページ右図を見てください…」
「………!」
 突然飛び込んできた少しハスキーな声にはっと顔を上げる。いつのまにか授業が始まっていた。
 幸い予習をしていたから少しぐらいは聞いていなくとも大丈夫だと思ったが、質問しようと思っていた部分の説明はもう通り過ぎてしまったらしい。
 ―――…終わったら聞きに行くか…
 それとも、隣の彼女に見せてもらおうか。
 そう思いちらりと再び隣の彼女を見て、再び思い出した先ほどまでの思考。途端に浮かんだ彼女の少し遠い未来に、何とも言えない空しさが心を埋める。
 もし仮に捨てられなかったとしても、いつかは動かなくなる。しかも彼らの命は人間よりも格段に短い。
 これは、運命だ。
 決して変わりはしない。

「……ナニ、か、ありまス、か?」
 ふと彼女がこちらを向いた。
 多分、視線を感じたのだろう。そう言葉を投げかけられ、俺は首をそっと横に振る。
「…いや」
「そうで、ス、か」
 返事を口にする言葉が所々で詰まるのは、彼女がロボットだから。
 しかしそれが躊躇っているような、どこか俺を気にしているような響きに聞こえ、思わず込み上げる罪悪感。
 しかし先ほどの俺の視線が持ち合わせていた彼女への思いを口にすることは出来ないと、複雑な心境のまま眉を寄せれば、彼女はふわりと笑った。

 本当に美しいと思う。綺麗だと、そう思うけれど、彼女はまだ何も知らない。何も分からない。
 そして、いつか現実を知るのだと。
 口元でそっと笑い返し、今度こそ彼女から視線を逸らし授業に集中しようと黒板の方を見る。教授の指先が綴る白い文字を追い、ノートに素早く書き記しながら、ふと浮かんだ顔。


 いつも寂しさを拭えずにいる黒い瞳。
 狭い世界に閉じ込められている彼。

 今、無性に会いたい、と。

 何故か俺は、そんな衝動に駆られた。



 

2009.09.29



「こちラ、は空イテい、マス、か?」

 その言葉にちらりと横を見れば、ダークブラウンの髪に深緑の瞳を持った女性が一人。上品な薄い唇に引かれた薄ピンクのルージュが清廉さを引き立てていた。
「……あぁ、」
 どうぞ、と一席埋めていた自分のカバンを左側に寄せる。
「…失礼、しま、ス」
 すると彼女は、小さく頭を下げながらゆっくりと俺と一つ席を置いて腰掛けた。
 …いや、実際に彼女と呼ぶべきなのかは、俺にはよく分からない。
「……」
 俺と彼女の間にある一席にはお互いのカバンがある。そこからゆっくりと取り出される授業資料はもちろん俺が持っているものと同じで、それを持つ指は爪先まで丁寧に手入れされている。とても綺麗だ。
 もちろん、ちゃんと胸もある。足も女性らしい細さで、色も白い。いかにも守ってあげたいと思わせるような弱さと脆さを感じさせる雰囲気を漂わせていた。
「……どう、かしまシタ、か…?」
 すると、いつの間にかじっと見つめていたらしい。声を掛けられはっと顔を上げれば、彼女の瞳はまっすぐこちらを見つめていた。
「…あぁ、悪い」
 気にするなと、そう言えばよく分からないといった表情で返される。そのまま逸らされない視線。普通ならば先ほどの言葉で視線は外されるはずなのだが、こういうタイプはそうはいかないのだろうか。
 それとも、こいつを好きなやつは全てを聞いて欲しいと思っているやつなのだろうか。
 ―――…何考えてんだ、俺は…
 所詮人事だと、そんないらない思考の隅でふと思いついた言い訳に、俺は彼女の授業資料を指差した。
「……お前、ちゃんと授業聞いてるなと思ってな」
 ここ、と指差したのは、彼女の小さなメモ書き。確かこれは前回教授がちらりとだけ話した重要な言葉で、普通なら聞き流してしまいそうなぐらいの何気ない一言だったのだが、それが彼女の資料にはしっかりと記されている。
 頭はよく出来ているらしい、と聡明そうな顔を覗けば。
「あり、がとウ、ございマ、ス」
 ふんわりと、想像通りの笑顔が返された。普通の男が見れば顔を赤らめそうな表情。
 俺の目の前にあるのは、自然な女の表情だ。違和感などどこにもない。
 しかし俺が疑問を感じるのは、ただ一つ。話し方だ。
 彼女は正確に言うと、女であって、女ではない。…いや、女ではないというのはおかしいのかもしれない。女ではないというより、人ではない、と言った方がいいのだろう。
 彼女は、ロボットだ。おそらく、誰かの理想を具現化したロボット。その証拠に容姿が異常に整っている上に聡明だ。性格もおとなしいらしく、こういった女性は世の中の人間を探してもそうそういないだろう。

 彼らロボットは主、つまり彼らを作り出した人の理想を基に作り出されることが多い。容姿、性格、仕草、その全てを思い浮かべながら作り上げていけば、今現在の技術では99%の確率でほぼ理想に叶ったロボットを自分の手で作り出せるとされている。
 もちろん見た目や、肌の質感、髪質、瞳。とにかく全てのパーツが人間にそっくりなのだ。表情も豊かで、涙だって流すように出来ている。それに伴う感情も、思考も、主に制御された範囲内では自由に動くのだ。
 まるで人のように振る舞い、人のように生活する彼ら。もちろん結婚だってできるのだから、もはや人と呼んでもいいのかもしれない。
 しかしただ一つ問題がある。それは、言葉。言葉だけは上手く話せないのだ。
 それが今日まで発展してきたロボットの唯一の欠点であり、またロボットの特徴でもある。
 それに、もう少し言えば、この世界で意思を持つのはロボットだけではないのだ。
 額縁の中の絵画に描かれた人物も、その人物を書いた人間の意識下にある理想通りにその中で動き回る。新聞の写真に写る人々はそれを撮った人の意識の下に動きながら、現場の雰囲気を伝えてくる。
 人でないものが意思を持ち動く。ここはそんな世界。
 しかし、俺は思う。
 人ではない意思を持ったものに自分の理想を重ねて、何が楽しいのだろうか。人に作られたものと会話を交わし、従順な彼らに受け入れられて、何が幸せなのだろうか。
 自分の意思が100%あるからこそ人間であり、人としての意義があり、価値がある。たとえその意思や言葉が内に秘められたものだとしても、内に秘めているのは自らの意思であり、ロボットのようにその選択肢を初めから削除されているのではない。
 今右二つ隣に座っている彼女も、正確に言えば勉強をしたいと思ってここにきているのではない。彼女を作った主が、彼女を勤勉な大学生に作り上げたのだ。



 

2009.09.19



 このフロアーは天井が高く、上部についている天窓からは太陽の光がさんさんと差し込んでは柔らかさを与えてくれる。その分雨の日は暗さばかりが強調されてしまうのだが、それと引き換えにしてもここを通るのは気分がいい。
 そして周囲には相変わらず溢れかえる人。ぶつかりそうになる肩を避けながらフロアーを横切っていく。その先を右に曲がれば目的の教室なのだが、そこへと一直線に進む自分の足も、向けられる多くの視線も、そしてこの大学の雰囲気もひっくるめて、俺はもうすっかり慣れてしまっていた。

 時が流れるのは早いもので、よく考えればもう今は9月なのだ。つまり俺が先ほど喋っていた彼女と知り合ってからも、もうすぐ半年が経とうとしている。
 思えば中学、高校は部活に勤しみ、捧げた日々だった。それこそ全てと言ってもいいほどに日常の比重が部活に偏っていたのは明らかだったが、もちろん勉強も大切だと分かっていたので授業もしっかりと受け、課題も全てこなした。しかし言ってしまえば、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。俺にはそれだけで十分間に合っていたし、それ以上の必要を感じなかった。むしろ勉強のために時間を割くならば自分の身体を作り、部を強くするための対策を考えていたかった俺だから、そういう生活になるのは自然なことのように思う。
 そして何より、俺はテニスが好きだった。見ていても、自分でやっていても、指導していても全く飽きない。それどころかますますのめりこんでいく日々。離れられなかったあの頃。
 心底テニスを楽んでいたあの頃をとても懐かしく思う。といっても完全に部活というものから離れてまだ1年ほどしか経っていないのだが、大学という門をくぐって数ヶ月、何故か急に自分が大きくなったような気分になり、たった1年前のことが数年間も遠い出来事のように感じるのだから不思議で仕方がない。
 けれど今、もっと不思議に思うのは、あの頃に戻りたいと思うことのない自分。
 あれだけ充実していた日々はもう二度とやってこないだろう。しかし俺は、今の生活にも十分満足しているのだ。
 日々確実に増えていく知識に比例するように溢れる意欲は、努力を惜しまずに強さを追いかけていたあの頃とたいして変わりはないのだと、自分のメインフィールドをテニスから勉学へと移してから約半年、薄っすらとではあるが確実に実感していた。

 いつの間にか辿り着いていた教室を目の前にし中の様子を覗けば、思っていたよりもまだ人は集まっていない。いつも座っている席にも幸い人はおらず、素早く窓際のそこへと腰掛ける。
 跡部はここから見る景色が好きだった。そういえばまだ入学して間もない頃、そこに植えられた立派な桜の揺れる様と、ピンクの花びらが絨毯のように広がっている様子に授業のオリエンテーションを無視して見入っていたことを思い出す。今はもう青々とした緑だけが広がっているが、その様子はいつ見ても清々しく、どことなく気持ちがすっきりするのだ。
 まさにそれは、夏を感じさせる風景。
 思わず外で身体を動かしたい衝動に駆られる自分に内心苦笑しながら、そっと腕を持ち上げる。
「そろそろか…」
 腕時計に目を向ければ、もうすぐ教授がやってきそうな時間だ。跡部は徐にカバンからペンケースとメガネケース、そして今日の講義資料を取り出した。そっと分厚い資料を開き、眼鏡を掛けてからあらかじめマーカーで印を付けておいた部分にざっと目を通す。ふと浮かんだ自分の意見は頭の中で小さくまとめ、横の空白に書き足した。
 そしてペンをそっと机に置いたところで、空席だった右側の席に、誰かがやって来た。




2009.09.19



 朝のこの時間は学生が登校してくるピークである。もちろん学年は入り乱れ正門前はかなりざわついていた。
 そんな中、正門手前にすっと横付けされた黒塗りの一台の車。遠目にでも高級だと分かるそれから出てきた彼に、その様子を見ていた誰もが無駄のない華麗な動作に釘付けになる。
 そしてその注目を一身に受ける人物、跡部景吾は周囲を涼しげな眼差しで軽く見渡し、走り去る車を見送ることなく真っ直ぐに伸びる道を颯爽と歩き出した。

 通りの両側には青々とした木々が植えられ、それらが揺れる様子や葉がさわさわと立てる音は傍に感じていて心地よい。今日は天気も快晴で、薄い雲が少し伸びている程度だ。
 9月半ばのこの時期、たいていの大学はまだ夏休み中なのだろうが、あいにく氷帝学園の大学部は3学期制である。それは2学期制による無駄な長期休暇を減らそうという学校方針であり、中学高校とそうして過ごしてきたから特に違和感もない。しかし授業に付随する予習・復習・レポート・試験は中学高校とは比べ物にならないほどレベルの高いものであり、秋休みが5日間ほどあるもののすべて潰れてしまうのが現状らしい。ここでらしいと言うしか出来ないのはまだ跡部がこの大学の1年生であり、秋休みを経験していないからであるのだが、今までの経験から言えばそれは確実だろうと想像出来るほどに1学期は大変だった。
 今日も今日でレポートの課題が発表される日である。今週1週間は確実に睡眠時間が削られるはずだと思うと思わず溜め息が出そうになってしまうが、学生ならば仕方がない。むしろ嬉しい悲鳴だろうと自分自身に言い聞かせながら、本日の1時限目が行われる教室までの長い道のりを歩いていた。
 すると突然、遠くの方で彼の名を呼ぶ声がした。

「おはよー跡部くん!」
「あぁ、おはよう」
 笑顔で言われたあいさつに俺は手を上げて応える。すると彼女は友人2人に何かを言い、そして俺の元へと走ってきた。彼女は俺に気軽に話しかけてくる数少ない友人のうちの一人である。
 いかにも重そうな鞄を肩に書け、そこから手帳を取り出し開いた彼女は口を開いた。
「跡部くん、掲示板見た?」
 そう言ってぺらぺらとページが捲られていくそれを横から覗き込む。ほぼ全てのコマがぎっしり文字で埋め尽くされている様子はどこか気持ちよささえ感じさせた。
 跡部は首を横に振りながら言った。
「1時限目終わったら行くつもりだが…何かあったのか?」
 と、尋ねたと同時に彼女は手帳のメモ欄のある場所を指差し口を開いた。
「あのね、これなんだけど…今日の4限702号館のA6教室に変更って書いてあったわよ」
「マジかよ…かなり遠いじゃねぇか」
 彼女の言葉に思わず跡部は顔を顰めた。
 そこは同じ大学内でもかなり遠く離れた場所にあり、3限の教室から歩けば10分はかかるところである。
 ちなみに授業の間にある休憩は15分。つまり実質休憩は5分かそれ以下ということである。
「でしょ…ほんとありえないよね」
 口ではそう言いながらも、しかし授業をサボるわけにはいかずに苦笑だけが漏れる。教授が自分の都合で教室をころころと変えるのは今更だったし、そんなことにももうお互いに慣れてしまっていた。
 その後ついでに今日出されていた他の変更や連絡を聞き、それを自分の手帳に書き記していく。そして全てを写し終えぱたりと閉じた手帳は、どことなく重い感じがした。
「サンキュ」
 これで掲示板を見に行く手間が省けたのだから、感謝せずにはいられない。そう言えば彼女は、気にしないで、と笑みを浮かべながら顔を横に振った。
「私も跡部くんにはレポートでお世話になってるし」
「まぁな」
「…謙遜しただけなのに」
「何だ?」
「何でもないわよ…んじゃ私、こっちだから」
 そういって指差されたのは、俺が向かおうとしている方向とは正反対だ。
「あぁ。また後でな」
 そして声を掛けられたときと同じように手を上げれば、彼女は笑顔で俺に背を向けた。そのまま足早に歩いていく彼女の背中を見送りながら上げた手を下ろすと、ふとズボンのポケット手が当たる。そして違和感を感じた。
 するりと手を入れ、その奥にあるものを指で確かめる。小さくて固いそれは、確か昨日ジローからもらったものだ。疲れたときにでも食べようかと今日の朝、机においていたものを偶然手にとったのは、ほんの気まぐれだった。
 それなら、と跡部は咄嗟に彼女を呼び止めた。
「おい!」
 まだ少ししか離れていない距離に、彼女はすぐにこちらを向く。
「何?」
 次あるから早くして、と。
 その言葉が言い終わったと同時に放り投げたそれがすっぽりと彼女の手の中に収まる。
 それは、小さな飴。先ほどのお礼だと、彼女も分かったのだろう。
「ありがとう!」
 明るいその声を背中で受け止め、俺は振り向かずに軽く手を振った。




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